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Vol.13 - 2
2005/12/09発行

斎藤 厚  市中病院勤務半年が経過して〜新研修制度に思う〜 

         日本赤十字社長崎原爆諫早病院 院長 斎藤 厚 (旧第一内科・教授)
 琉球大学医学部に18年間の長きにわたり大変お世話になりました。まずもって、心から御礼を申し上げます。
 大学院を修了してから36年間、一貫して大学に身をおいてきましたが、このたび一般市中病院に勤務するようになって約半年が過ぎました。これまで大学で考えてきた医療と市中病院で体験する医療とは随分開きがあり、いろいろと考えさせられることが多いこの頃です。当然のことながら大学での使命は教育、研究、診療が3本の柱であり、医学部の教官(現在は教員)に求められるものは医の本質である最新の医学を教育し、最先端の研究を行い、新しい治療法の実践と開発をめざすことであると考えていました。したがって、大学病院は主として「医学」を学んでいる学部学生への「医学と医療の接点」を教育する場であり、その病院は医学部の附属であるという考えでした。また、医師国家試験は医学を教育した文部科学省が行うのではなく、臨床医としての免許を与える厚生労働省が行います。すなわち、医師国家試験は文科省が認可した医学士に対して厚労省が行う「医者」の資格試験です。したがって、一定の医学を修得した後は更なる学問や研究への道を進む場合と医学の実践である医療を行う臨床医・医者への道があることになります。前者の当面の目標は「医学博士」の称号取得であり、後者は「認定医・専門医」の所得でしょう。勿論、両者は厳密には区別できませんが、琉大病院では医学博士の資格がないと講師以上には採用されません。
 さて、このたび勤務することになりました市中病院は第一線の医療の現場であります。医学博士より認定医・専門医が優先されるのは仕方ないことでしょう。したがって、当院の医師の紹介欄に診療の専門分野、専門医や臨床の資格を記載するのは当然でありますが、「医学博士」を記入するかどうかで問題が起こりました。認定医・専門医と同様、医学博士も公示して差し支えないことはわかりましたが、臨床の場に医学博士はなんとなくなじまないとの意見もあります。医学と医療は結びつかないのでしょうか。結局、当院のほとんどの医師が医学博士を取得しているのに、医師の紹介欄には臨床医としての認定医・専門医のみを記載することとなりました。これは今後医学の基礎研究による学位取得者よりも専門分野の臨床研究で学位を取得する医師が多くなれば医療の現場における医学博士は違和感なく受け入れられるのかも知れません。
 医療(medical service)は医学(medicalscience)に立脚したものでなければならないような気もしますが、医学を超えたところに臨床現場の医療・医療学の大部分があるようにも思えます。医療は医師以外の多くの医療従事者と患者およびその家族、引いては地域を包括した幅広い人々のかかわりで成り立っています。医学生のほとんどが医学者よりも臨床医すなわち医者になる現実を見ると、米国に見られるような病院附属の医学部があってもいいのかも知れません。
 新しい臨床研修制度が始まって初期研修に輪をかけて後期研修でもより一層の大学離れがみられている現実を見れば、医学専門学校といえば聞こえは悪いですが、そのような形式の大学も必要なのかもしれません。若い臨床医にとってまず必要な医療と医療学を初期研修で学んだ後の後期研修先は当然のことながら認定医・専門医の取得が可能な施設となりましょう。大学院大学制度の中で大学病院が初期研修からさらに高度の医学や臨床研究の魅力をどのように提供するかを明示することができなければ、この研修制度は医学部と大学病院にとって医学研究の衰退と医局制度の崩壊を促すこととなるかもしれません。
 初期研修のはじめから琉大病院の一員として関わらせていただきましたが、現在第一線の市中病院に身をおくようになって、市中の臨床医が大学院大学附属の大学病院に寄せる期待は予想以上に大きいものがあることを実感しています。一見逆境ともみえるこの時期にこそ、琉球大学医学部および附属病院の諸先生方が叡智を出し合ってこれを見事に乗り越えられ、大学に求められる最先端の医学研究や新しい医療の実践を発信していかれることを大いに期待し確信しているこの頃です。