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Vol.14 - 1
2006/07/05発行

増田昌人  100本の赤いバラ 

                  琉球大学名誉教授(前生化学) 田中 龍夫

 同窓会員の皆様にはお元気でご活躍のことと存じます。
私はこの3月に琉球大学を定年退職致しました。大学院生として研究らしきことを始めたのが1966年ですから、丁度40年になります。新潟大学、シカゴ大学、山形大学と動いて、平成2年に琉球大学に参り、以来16年間お世話になりました。もっとも、大学院の設置の関係でその3年前にはすでに琉球大学へ移ることが決まっていて、非常勤講師として呼んで頂いたり、沖縄ではどんなふうに実験を進めようかとか、文部省の科学研究費でこんな機械を買ったら沖縄へ持って行けるかとか考えていましたので、大学生活の約半分を琉球大学と共に歩んだことにもなりましょうか。
 元来私は一人で黙って実験をするのが好きでこの道を選んだもので、他人様にものを教えるという柄ではありません。その時々に工夫もし、それなりに一生懸命やって来たつもりですが、皆様には話が解り難かっただろうと気に掛かっています。こんな私ですから、最後の生化学の講義も形式張った最終講義とせずに淡々と消えるのが自分らしいと、普段通りの講義を終わりました。思い掛けず、学生の拍手とともに教室の後ろから現れたバラの花束。2年生1人1本づつということでしょう100本の花束は大きく真紅に輝いていました。退職するのだという実感、大学で教えることが出来て良かった、本当にこれに値することをやって来たのだろうか、と様々な思いが交錯しました。あの100本の赤いバラの花束を見た驚きと感激は、長い研究生活の中のささやかな発見の喜びを忘れることはあっても、ずっとずっと想い出に残ることでしょう。
 4月からは沖縄リハビリテーション福祉学院に学院長として勤めています。沢山の同窓会員の皆様に非常勤講師をお願いしておりますし、卒業生も県内外の多くの病院に勤務していますのでご存知の方が多いと思いますが、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、介護福祉士の養成校です。沖縄看護専門学校とも同居し一体で動いています。3月になって急に決まったことなのですが、管理的なことは苦手と自覚しながら、学生と共に過ごすことのできるこの仕事をお引き受けしたのも、あの100本の赤いバラに後押しされたように思います。戸惑うことも多い日々を過ごしていますが、自分なりに精一杯頑張ろうと思っています。皆様には今後とも変わりないご厚情をお寄せ頂くとともに、学院の運営にもご理解とご協力を頂きますようお願い致します。