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Vol.14 - 1
2006/07/05発行

増田昌人  琉大医学部の将来 
 
              前病原因子解析学教授 岩永 正明

 特色の無い大学は間もなく整理縮小されるという現実を認識しなければならない。23年間2300名の学生と共に歩んできた我が医学部がいつの間にか「琉球医学専門学校」へと整理縮小されることのないよう願わずにはいられない。2009年に行われる大学評価に医学部は何をもって対応するのか。このような状況下で私は定年を迎えたが、同窓生に何かメッセージを残すとすれば次の一言に尽きる。
今や同窓生の断固たる行動が無ければ、我が医学部の将来は望めない、従って我が医学部の将来に夢を持つ同窓生は断固たる行動を開始するべきである。
私は昭和58年(1983)4月、1期生への細菌学講義が始まる年に着任した。「琉球大学は南に開かれた云々」という大学の理念に魅力を感じ、それを実現しようという夢を抱いてきた。実は着任早々から出鼻を挫かれ、夢は打ち砕かれたかと思った時、救世主のように現れたのが熱い夢を持つ学生達であった。その後23年間私は何をしてきたのだろうか。教授職に課せられている任務は1)教育、2)研究、3)管理運営であるから与えられた任務はまともに行ってきたと思っている。

  1. 教育の相手は学生であり、一定のカリキュラムを自分の考えに基づいて作成し学生が医学細菌学に興味を持つように最大限の努力をしてきた。正規のカリキュラムに組み込みにくい琉球大学特色領域は課外教育として積極的に取り組んできた。この課外教育の対象となったのが現在170名くらいの卒業生を持つ熱帯医学研究会である。「夢を持ちその実現に向けて努力する若者達」と共に学び語り合ってきたことは私の大学生活でこの上ない喜びであった。
  2. 研究の仲間は教官・院生・学内外の共同研究者などであり、研究では琉球大学特色領域を活かすことができた。テーマは腸管病原細菌であり、国際共同研究、特に熱帯地域との交流を充実させながら本学理念の具現化と特色付けに貢献してきた。大学院生が続々と加わり、研究が発展し、我々の論文が各方面で引用されることは研究の喜びであり、それらが大学に貢献していると実感することもまた喜びであった。同門から既に教授4名、助教授3名を輩出したことも誇りであるが、我が医学部が同窓生を採用しないことに激しい怒りを覚える。
  3. 管理運営(教育・研究に関する)は教授会が行う。自分達が管理運営したことによって学生が楽しく勉強するようになり、教官達が次々と立派な業績を上げ、そして我が医学部がどんどん発展していく姿を見ることに管理運営の喜びが在る。管理運営に携わる者が、権限によって学生や教官を支配することを喜びとするならば、その管理下に在る者は大変不快であり、組織の健全な発展は望めない。教授会は人事、予算、賞罰などに関する権限をもって教育・研究に関する管理運営を行っているためそこで不当な行為が行われると、学部全体が不全に陥る。多くの場合は直接関係者のみが利害の対象となるため不当な行為がかなり頻繁に起こってもなかなか表面には出ない。何人かが泣き寝入りすれば済むので殆どのことは隠されてしまう。しかしその不当行為があまりにも悪質であまりにも頻回にわたると遂には学部という組織全体が崩壊の危機に曝される。実は1990年代の我が医学部はその危機に曝されていた。現在尚その痕跡を引きずっている。それ故に私は同窓生に向かって冒頭のメッセージを送らなければならなかったのである。私はこの23年間、教育と研究において大いなる喜びと楽しみを味わったが、管理運営においては最後の最後まで悲しみと苦しみの連続であった。

    【参考文献:「孤軍奮闘」、琉球大学の23年間岩永正明の孤軍奮闘記】