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Vol.14 - 1
2006/07/05発行

増田昌人  追  想 

             がきやクリニック 我喜屋 出(3期生)

 同窓生の皆様、今日は。三期生の我喜屋出と申します。2004年に那覇市長田の地に開業し、3年目を迎えました。標榜は、内科、胃腸科です。
 開業してからは、勤務医時代にはあまり縁のなかった人事や、経営といった新しい領域に携わることとなり、試行錯誤の毎日です。関わらして頂いた患者さんの中には他界された方もおられ、時間の流れを感ぜずにはおれません。その中でも、おそらく生涯忘れられない出来事となった仲宗根啓樹先生との出会いと別れについて少し述べさせて頂きたいと思います。
 彼とは、大学学生時代からの付き合いで、今どき珍しい程の堅物で、文武両道を地で行く人間でした。剣道は有段者である一方、学業も優秀で人懐っこい性格でした。堅物であるが故に人間関係で、悩むことも多かった様ですが、彼を知っている近しい者たちは、決して彼に背を向けることはありませんでした。大学卒業と同時に聖路加病院で初期研修を受け2年後、私の入局した旧第一内科に入局してきました。その後は肝臓グループの牽引者となり、常に患者さんの身近にいながら、数多くの論文も手掛け、誰もが将来の肝臓グループを背負って立つ人間と考えていました。
 そんな中、県費留学でカナダへ出向いた年の暮れ、腹部の違和感を覚え、翌年7月に帰沖した時、私の勤務していた病院を訪ね、上部消化管内視鏡検査を頼まれたのでした。なにげにスコープを挿入してみると、我が眼を疑いたくなるような所見でした。悪性を示唆する潰瘍がそこにあり、病理の結果はsignet ringcell carcinomaでした。長男を設けたばかりの彼に降り掛かった運命に、私自身、気が動転し、医局の消化器グループの助教授から彼への告知をお願いしました。スキルス胃癌でした。それからが、戦いのはじまりでした。告知の日の帰り、大学の裏手の土手から彼と二人、夕日を無言で眺めていたのを今でも思い出します。
 翌月には大学での胃全摘手術を受け、抗癌剤治療が開始されました。術後経過は、比較的順調で、ほどなく、彼は南部のT病院へ就職し、消化器科医としての手腕を振るいました。
 誰もが、このまま、回復していくことを願ったのですが、運命はさらに過酷でした。数ヵ月後、PETで腹部に集積が認められたのです。腹腔内転移でした。彼との会話の中で、気を紛らわせるため開業での苦労話をすると、「いくら借金があったって、生きていればどうにかなるよ」と言われた時には絶句するとともに、涙を耐えるのに必死でした。そして、彼は、自分も開業が夢だと語りました。一度は元に戻った体重も徐々に減少していきました。抗癌剤の治療のためT病院に入院し、その後自宅療養していましたが、腹水が認められるようになってきたため、開院したばかりの私のところにも数回足を運び、腹水穿刺や点滴を受けました。
 しばらくして、彼は、働いていたT病院に再入院しました。在宅での治療が困難となったからです。そして、梅雨の頃、胸騒ぎのしたある土曜の朝、診察開始のまもない時間にT病院の主治医の先生からお電話を頂き、彼が逝去したことを知りました。手術後2年弱の壮絶な戦いでした。
あれから1年、窓の外に雨音のする診察室で私は椅子に腰掛け、今日も、普段通りの診察を行っています。ともすれば、日常の喧噪の中に自分を見失いがちになりそうな時、ふと「大丈夫だよ、ガッキー」と彼が、肩をたたいてくれたような気がしました。もうしばらく、彼が希望していた開業医として、医者を続けてみようと思います。彼ならこんな時どんな診断をしただろうかと問いかけながら。