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Vol.11 - 1
2003/07/11発行

野田 寛  大学・附属病院の法人化が言われて思うこと 

             野田 寛(前 耳鼻咽喉科学講座教授)

 国立大学の法人化問題が言われ出した頃より、三十五年前に勤務した西独HAMBURG大学時代を思い出して比較してみて、日本の医学界・医療界の現状に愕然とさせられている。
 1968年より4年間、医師免許証の独訳(ドイツ大使館証明)とLink当該講座教授の推薦状により、2年間毎の免許を得て助手として勤務した。同大学耳鼻科は300病床を有する大クリニックであったが、教授以下数名の研修医を含め20名で対応していた。小生は4年目に男子病棟150床のチーフを命ぜられ、若年医師1〜2名と研修医2〜3名と共に1日4〜5例、年間約1000例の手術を担当した。朝8時全員集合、当直医の報告を含め諸連絡事項などの後、各病棟廻診・指示(口頭指示で婦長が受けて指示する)。外来担当時は1日1医師当り新患10名前後、再来をいれて20名前後、患者が入ってくると、まず目と目を合わせて握手、人間的信頼関係が出来てから診察、コンピューターに向かい患者に目もくれない日本の現状とは!?タイプライターの当時でも医学秘書がいるので、返書、手術記録まで口頭又は録音テープ指示で、医師はサインをするだけ。新患は必ず医長に紹介(二重チェック・研修医教育)、入院患者についても毎日4時に全員集合、入院患者の再チェックを行う。そして5時以降はプライベイトタイム、研究をしたい人は、ここから専念する。
 当時の一端を記したが、現在の日本の医学部・病院と比較しても、恐らく数倍の効率の良さを感ずるであろう。
 小生がドイツ留学を選んだのは、日本医学のルーツを見たかったからで、当時は形態的にそう変わらないと思ったくらいだったが、法人化問題が出て見直して見ると、日本はドイツより医療効率の面で、恐らく数十年〜百年遅れているのではないかと感ずるようになった。
 恐らく、日本は医学・医療に限らず、殆どの社会機構を明治維新の時に諸外国より導入し大改革を行ったが、その後島国である日本は経済など一部を除き、"日本は西欧並に改革したのだ"と、その後の世界の変化について行っていないと感ぜざるを得ない。
 二十一世紀は"日本の世紀"などと言われていた時もあったが、現在の日本の置かれている状況からすると、二十一世紀末に日本と言う国は存在しないかもしれないと思う人も出てきている。
 次代の医学界・医療界を担う諸君は、更に変化して行くであろう世界を踏まえて、相当の覚悟で切磋琢磨しないと、生き抜けないのではないか。世界を闊歩する医学者・医師になれるよう。諸君の健闘を心から祈る。