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Vol.12 - 2
2004/12/01発行

山下晴世
 卒後10年目の今・・・ 
 
            越谷市立病院 循環器内科 山下 晴世(9期生)
 今年、われわれ9期生は早くも卒後10年目に突入しました。研修医の頃、医師になって10年目の大先輩が、「10年経つと色々なことが見えてきて、やっと仕事が面白くなってくるよ」と言っていたことを昨日のことのように思い出しますが、今、自分がその時の先輩と同じような立場になったとは、とても信じられません。気持ちは、まだまだ20代だった研修医の頃と同じなのですが、当直明けの勤務に辛さを感じるようになり、さすがに昔とは違う自分を感じざるをえなくなった今日この頃です。
 振り返ってみますとこの9年で、本当に色々なことを経験してきました。沖縄にいる同級生と会って話す機会もなかなかなかったので、この場をお借りして、これまでの経過と近況報告をさせて頂きたいと思います。
 私は卒後東京に戻り、順天堂大学で内科の研修を始めました。その当時、順天堂は希望する教室に入局する前に、3年間の内科全般の研修がありました。最初の2年間は、3ヵ月ごとに大学内にある8教室(循環器、消化器、呼吸器、腎臓、膠原病など)すべてを回り、最後の1年間は、3ヵ月ごとに他科研修と3つの関連病院を回って研修するというシステムでした。研修の3年間は、早く一人前の内科医になりたくて、ともかく臨床ばかりの毎日でした。比較的穏やかな性格の女医さんが多い順天堂の中で、「ミスター」のあだ名をつけられるくらい我武者羅に研修をしました。1年のうち、病院に行かなくてすむのは、元旦(元旦は、当直していたこともありますが(笑))と4?5日貰える夏休みくらいだったでしょうか。研修中、色々な疾患の患者さんたち、すばらしい指導医や同僚に巡り会い、様々な経験をしましたが、特に、大きな衝撃であった出来事は、尊敬していた小児科の指導医(女医)が私と最後の当直中に過労死されたことでした。この時、「自分の身体も大切」と身に染みて思い、「忙殺されるような生活は研修期間だけでやめよう」と心に決めたはずだったのですが、最後の研修病院で循環器の大切さを身にしみて感じる出来事があり、結局、循環器内科に入局してしまいました。順天堂の循環器内科は臨床に非常に重きを置いており、さらに20年前までは女性の入局を許さなかったという封建的な科で、女性が心カテ室に入ることを疎む先生がいるくらいだったので、入局したらどのような生活が待っているかは容易に想像がつきました。案の定、入局後1年間は、臨床に没頭する生活となりました。しかし、ある時ふと「大好きな臨床を離れて、頭を冷やしてみたら」と考え、平成11年に大学院に入学し、不整脈グループに所属して、心筋を用いたカルシウムシグナルの研究のため大学内の基礎の教室に出向となりました。私の配属された基礎の教室は、全く臨床とはかけ離れた、純然たる筋肉の研究をしている教室で、教授以外は皆理学部出身者であり、また教授は昔気質の指導者で、始めの1ヵ月は種々のピペットの扱い方を覚えるため、ピペットの検定のみをする毎日から始まりました。その後も、アクリル板やステンレスなどの材料で実験器具を自分で作り、自分で実験課題を模索するという過酷な日々が待っていました。これらの試練と立ち向かっているうちに、あっという間に1年半が経ち、実験結果は出たものの英論文にする許可が基礎の教室から出なかったため、仕方なく、平成13年に循環器内科に戻り、新たにサイトカインを用いた動脈硬化の臨床実験を開始し、平成15年にサイトカインの実験の英論文で大学院を卒業しました。結局、純然たる基礎研究と臨床研究をそれぞれ1年半ずつ経験し、計3年もの間、臨床を離れたのですが、これらの経験は私にとって非常に価値のあるものでした。特に、基礎の教室に配属されたばかりの頃は、全く臨床とかけ離れた世界であったため、「このような研究をすることに何の意味があるのか」と常に疑問と反発のなかで悩んでいました。しかし、基礎に入って叩き込まれた論理的な思考や現象を細かくとらえる洞察力は、現在臨床を行なう上での大きな糧になっており、またその後の臨床実験で学んだ動脈硬化の基礎は、現在、虚血性心疾患を診る上でさらに疾患に対する見方を深めました。大学院卒業後の平成15年からは、お礼奉公も兼ね、埼玉県にある市立病院に出向となり、緊急カテや急患に追われて寝不足になりがちな毎日ですが、循環器内科医として着実にスキルアップをしており、10年目の今もなお、恥ずかしながら日々成長の段階です。来年の春からはアメリカに留学し、再度基礎の研究に戻り、さらに見聞を広げてくる予定です。そして、臨床と基礎の数々の経験を生かし、「いつか臨床と基礎の間の橋渡しのできる医師になりたい」というのが、現在の私の夢であり、今後その夢に向かって邁進したいと考えております。