福田雅俊琉球大学名誉教授が平成17年3月29日、慢性腎不全のためにご逝去されました。享年79歳でした。福田雅俊先が亡くなられたことが、未だ信じられず悲しい気持ちで一杯です。先生ひご指導を仰いだものとして、謹んで追悼のことばを述べさせていただきたいと思います。
福田雅俊先生は、昭和53年に琉球大学保健学部付属病院に赴任され、昭和56年に琉球大学医学部附属病院の設立とともに眼科学教室の初教授に赴任されました。設立当初の教室は医局員の少ない厳しい時代でありましたが、先生は一流の指導者として卓越したリーダーシップを発揮され、眼科教室の基礎を作り、沖縄県医療の発展に貢献されました。昭和59年に医学部附属病院が現在の西原に移転してからは、日本眼科手術学会、九州眼科学会、硝子体手術研究会などの学会を沖縄で主催したり、各地での特別講演や専門である糖尿病眼科学の執筆などの精力的に仕事をなされました。役職関係では日本眼下学会、糖尿病学会、老年病学会、自律神経学会、成人病学会、眼科手術学会などの数々の評議員や理事を兼任し、琉球大学において昭和62年に附属病院院長のお要職を4年にい渡りお勧めになりました。
私が入局した当時の先生は非常に多忙でいらっしゃいました。しかし自分の仕事がどれほど忙しくても、医局員の質問や意見にじっくりと耳を傾け指導をしてくださいました。そのことがどんなに私たちにプラスになったか計り知れません。指導者としての立場上厳しい面もございましたが、普段の先生は非常にユーモアと温情溢れるお人柄でいらっしゃいました。特にお酒の席では、杯を片手に機関銃のごとく言葉があふれだすその語り口調から『福田節』と評され、先生ならではのユーモアに、先生の謙虚なお心、語りの中からそっとみせてくださった医局員に対する情愛など、さまざまなものを感じたものでした。
福田雅俊先生のご専門は糖尿病眼科額でした。その分野においては、まぎれもない第一人者でありました。東大病院、東大分院、虎ノ門病院、東京女子医大病院そして琉大病院と長きに渡り、糖尿病と眼との関係をライフ・ワークとしてご研究されました。豊富な臨床経験を深い洞察を結晶させた糖尿病性網膜症の『福田分類』はとくに有名で、眼科医と内科専門医との橋渡しとなり糖尿病性眼合併症の啓蒙や診断に多大なる貢献をなされました。その功績は長く糖尿病学の歴史に名を残すものであります。
福田雅俊先生、多くのお教えをいただきありがとうございました。眼科医療の発展にご尽力された先生の優れたご業績とお人柄にあらためて敬意を表し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
【福田雅俊教授略歴】
大正 |
14年 6月23日 |
東京府下豊多摩郡中野村に生まれる |
昭和 |
20年 4月 1日 |
東京帝国大学医学部医学科入学 |
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24年 3月31日 |
東京大学医学部医学科卒業 |
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24年 4月 1日 |
東京大学医学部附属病院において医師実地修練開始 |
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25年 3月31日 |
同上終了 |
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25年 5月25日 |
第8回医師国家試験合格 |
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25年 7月 1日 |
東京大学医学部附属病院眼科医局入局 |
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26年 1月 1日 |
文部教官助手就任(東京大学医学部眼科学教室勤務) |
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29年 3月16日 |
東京逓信に出向(郵政技官) |
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32年12月28日 |
医学博士の学位授与(東京大学第7021号) |
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34年10月16日 |
東京大学講師就任(眼科病棟医長) |
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35年12月16日 |
東京大学医学部附属病院眼科外来診療所医長(講師) |
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39年 7月 1日 |
東京大学助教授医学部に昇任 |
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44年 1月 1日 |
東京大学医学部附属病院分院眼科科長を兼任 |
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52年 8月 1日 |
東京虎の病院眼科部長に就任 |
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53年11月 1日 |
琉球大学助教授保健学部(同附属病院眼科医長)に就任 |
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56年 4月 1日 |
琉球大学教授医学部(同眼科講座主任)に就任 |
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62年 4月 1日 |
琉球大学医学部附属病院病院長に併任 (平成3年3月31日まで) |
平成 |
3年 4月 1日 |
豊寿会養生の里(老人保健施設)医療責任者に就任 |
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3年 4月23日 |
琉球大学名誉教授 |
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